親は万能じゃないと知る

・子供のドリルの丸付け中、間違えていたので×を付けた。それがショックだったようで、ものすごく泣かれてしまった。

・間違えてもいいんだよ、間違えたら次は気を付けるようになるよ、と声をかけたが×のショックが大きすぎて全く響かず、大分長いこと怒り泣きしていた。

・言っていることは分かるけど嫌なんだ!と勢いが止まらないので、「気持ちが落ち着いたら教えてね。」と少しその場を離れたら、しばらくしてから自分で泣き止んで、気持ちを整えて、解きなおしていた。

 私よりよっぽど上手に気持ちを切り替えていて驚いた。すごい。私だったら自分も親も許せない気持ちを引きずりに引きずって日をまたいでいただろう。

・午後に児童館に遊びに行った。

・今通っている児童館はものすごい種類のボードゲームやブロックなどがあり、家で買うにはためらうサイズのものなどもたくさん遊べるのでたまに行っている。

・スタッフも幅広い年齢の方がいて、用事がないと話さない方もいるがものすごく話しかけてくれる方もいる。

・私は話すのが苦手なので、話しかけてくれる方には毎回感動している。子供の気持ちに寄り添いながら子供も返事のしやすい雑談をして、定型文とも思えない声かけをしてくれる。

 子供と同じような熱量で遊ぶのは私にとっては体力がいることだが、声をかけてくれる方はそこに自ら飛び込んできてくれる。勇者だ。

・私は自分が子供のころ児童館に行っていた記憶は全くない。そういう施設が地元にあったのかも分からない。でも、こういう場所でいろんな大人を見ることも、普段なら触れ合わない年代の子と会うこともきっと大切なことだと思う。

・親子はともすると閉じられた世界の中にこもりがちで、その中の正義が絶対的になってしまう。そうすると親である人間のルールが絶対的正義になるだろう。そんな公平性を欠いた天秤は子供の世界を狭めたりゆがめたりする。

 外の世界でコミュニケーション強者とうまく話せずワタワタする親を見せておくのも、そういう偏りを正す一助になるだろう。

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