節分と恵方巻とシラス

日記

・今日は節分。

・節分というと、『おかゆねこ』での「節分は4回ある!」って豆知識で鬼らしき邪のものをやっつけていたのを思い出す。おかゆねこ、面白かったなあ。久しぶりに読もうかな。

・子供も幼稚園で力いっぱい鬼退治をしたらしい。我が家には鬼が来ないので、「もし来ちゃったらどうする?」と聞いてみたところ、「う~ん、おうちで鬼は外!ってやったらうるさくなっちゃうしねぇ・・・。」と大人みたいなクールな返しをされたので笑ってしまった。

 ただ、聞かれたことにはできるだけごまかさずに真摯に答える、おどかしたりして言うことを聞かせようとしない、と意識はしていたけれど、あまりに現実的な返しをされると今度は子供の想像力を奪っているのか?と不安になる。難しい、というより欲張り。

・節分といえば恵方巻。食品廃棄の問題が多く取り上げられるようになってかなり前から予約受付していたけれど、やはり当日は当日でいろんな所で売っているのを見かけた。せっかくなので「買ってみたいなあ」と思っていたお惣菜屋さんの恵方巻を買った。

・節分といえばイワシ。スーパーでもいつも以上にイワシを推している。イワシは美味しいけれど、骨が多いので子供に食べさせるときにちょっとめんどくさい。おろすのもめんどくさい。かなり魚売り場でウロウロした結果、シラスを買った。段々疲れてきて、シラスはイワシ(を含む魚)の稚魚だからいいか、と思い切った。

・土井善晴さんの著書『一汁一菜でよいという提案』のなかに、季節の楽しみを食べるときは言葉にしてください、というような一文があった。「今年はたけのこを食べてないなあ」とか、「なすが美味しい季節になってきたね」とか。毎年同じ言葉でいいから、言ってください、と。ありきたりな言葉なのに、なんてほっとする言葉だろう。

 そういう「共有する喜び」と「繰り返す安心感」が行事の中には含まれている。あらゆる野菜や果物がいつでも手に入りやすいし、冷凍食品もレトルトもあり、多種多様な国の料理が手軽に選べる今は、なかなか季節感が毎日の食卓では感じづらい。でも、行事なら強制的に日常に季節の流れを持ってきてくれる。ごちそうにする必要はないから、「節分だから恵方巻買ってきたよ」という一言でいいのかな、と思った。

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