・三が日も終わったので、しっかり日記が書けるようにしていこうと思う。
・昨年末に思いついて始めたときは一日の終わりに投稿していたけど、睡眠サイクルが壊れる気がしたので今後は「昨日のことを、翌日の朝」書くようにしてみようかな。また変えるかもしれないけど。
・昨日は、猫型ロボットが配膳してくれるお店に行った。
・夫と、ロボットの導入によってどの程度コストを下げられるものなのか?という話になった。
・配膳しかできないロボットでも、例えばテーブル管理をしている担当者が配膳のたびにキッチンに戻ったりしなくて済むし、人より回れるテーブルも多そうだ。ざっくり見た感じではホールに5~6人必要だった店でも3~4人に減らせるのかなと感じた。
そうすると、バイトの時給が1000円だとして5時間勤務で5000円、それが2人で1日10000円削減。しかも、予測が立てづらい日や、混むのが確実なのに学校の試験期間などとかぶって人が集まらない日にも、ロボットがいるのでシフトはかなり組みやすくなりそうだ。運用費などは知らないが、ロボット導入は店に利益をもたらすように感じられる。
・何回か注文するうち、一回だけ猫型ロボットが何も乗せずに席にやってきた。何も乗っていないので、そのまま「完了」ボタンを押して返した。重量センサーなどはついていないようだ。人だったらあり得ないミスだ。怒る人もいるかもしれない。
・本来なら、ロボットには怒ってもいいけど人には怒って欲しくない。けれど、実際には人はロボットには怒らず人に怒る。ロボットには罪がなく、ロボットを使っている人間に問題があるのかもしれないという問題は置いておいて、ロボットに対しては我慢できる怒りが人に対しては我慢できなくなる人はかなりの数いると思う。
これはロボットに対する「これはこれしかできないんだから仕方ない」みたいな見下げた感覚がなかったとしても恐らく変わらない。ロボットはプログラムで動いていて、ある程度の確率でミスが起こるということを容認されている。実はこれは人間も同じで、なんならヒューマンエラーの方が確立は高い場合が多い。個体ごとにプログラムが違うものだからエラーの種類も多い。それを知っているはずなのに、人は人のミスを容認しにくい。
「ロボットに言っても仕方ない」と思っている人もいると思うが、実は「人に言っても仕方ない」場面も多数存在する。結局は怒りというものが対人的なものなのだ。「怒り」が対人的なものである以上、ロボットはどこまでいっても対物的であるので怒りという感情から切り離されている。
・よくSF作品などでは、人のように進化したロボットが人と同じように生活していて、言い合いになったり喧嘩していたりする。本当にそんな未来は来るのだろうか?どこかから突然、怒りという感情の対象になるくらい「人」となる瞬間がくるのだろうか。
ロボットの見た目に「不気味の谷」があるように、感情にもきっと「不気味の谷」が訪れる。それを乗り越えるとき、ロボットはロボットなのだろうか?人にはその谷を乗り越えることなんて可能なんだろうか。
・まだまだそんなことを考えていない猫型ロボットは、配膳が終わると「にゃー」と笑った顔を表示して去っていく。作為がない笑顔は素直にかわいい。かわいいと言っていいよ、とリアクションが内包された「作為のない笑顔」だ。
いずれ感情の不気味の谷は、人間があちら側に超えさせるのではなく、ロボットがこちら側に超えてきてしまうのかもしれない。実際にその時が来た時に違和感を持てる自分でありたいが、自信はない。
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