いつまでたってもTikTokになじめない自分への考察

日記

・とんかつまい泉で、木村屋総本店とコラボ?の『あんバターサンド』を見つけて衝動的に買った。

・トースターで少し焼くことを推奨されていたので、焼いたらバターが溶け出してパンが「濡れる」くらいだった。箱に書いてある通り、アルミホイルを敷くのが必須。なめらかなこしあんとたっぷりバターの染みたさっぱりしたパンでとっても美味しかった。

・友人がTikTokを始めたというので、一応、と思って過去にダウンロードしていたアプリを開いたら再読み込みが始まった。

・それくらい馴染みのないTikTok。友人のあげた動画のほかにもいくつか流れてくるものを眺めていたけれど、早々に離脱してしまった。

・そもそも流れてくるものがそんなに興味がもてない。あんまり使っていないせいで私向けにカスタマイズされていないのかもしれないけれど、それにしても・・・。

・TikTokのノリというかテンポというか、それにも馴染めない。速い。時に遅い。文章ならざっくりでとばせるところを、短すぎる動画は順を追って見ないとどのあたりに結論があるのかもよく分からない。動画の作品としては速すぎるし、情報を得るためのツールとしては受け手に選択肢が少ないような気がする。

・最近は映画や動画なども1.5倍や2倍で観る人が多いらしい。おそらく私はそれもできない。

 以前、QuizKnockのYouTubeで「倍速で物語を聞いてその後に問題に答える」という動画を観た。あの情報処理に優れているであろうみなさんでも、かなり集中しているように感じられたし難しそうだった。絶対に私には無理だ。

 そもそも普段のスピードで観ていても100%理解なんてできていない。仮に、倍速で観ていても普段の80%の理解ができるとしても、普段から80%程度の理解だとしたら本質に対して約60%くらいの理解しかできないということだ。それなら、本来のスピードで80%理解することを私は選ぶ。

・日常的に話していて早口の人・ゆっくり話す人という差はあるにせよ、「聞き取りやすいスピード」「理解しやすい話し方」というものはある程度確立されていると思う。例えばTVニュースやラジオでのアナウンサーの話し方などがそうだけれど、決してそれらは速くなく、長い間大きく変わっていない。倍速した音声が焦燥感をあおるように感じたり、理解を妨げる要因になりえるのも当然と言える。

・倍速したら「間」はどういう扱いになるのだろう?慣れれば「通常であればこういう間」と捉えられるものなのだろうか?「間」は動画作品の中で大事な要素だと思うけれど、短すぎる動画のなかでそれを盛り込まれていると間延びしているように感じる。「間」が使えないというのは面白い動画コンテンツとしてハードルが高いのではないか?

・つまり、私はTikTokを動画作品としても情報収集ツールとしても使いあぐねているから、いつまでたっても馴染めないのだ。

 mixi、Facebookはリアルに寄ったインターネット上の交流ツールとして、Twitterは情報ツールとして、Instagramは人の作品を眺めるツールとして、YouTubeは動画作品を観る・情報ツールとして自分なりの使い方が見つけられたけれど、TikTokはそのどこにも所属しない。

・YouTubeでもショートを推しているような印象を受けるので、世界的にもっとこうしたショート動画に触れる機会が増えていけば自分でも新しい「ショート動画枠」が設けられるのかもしれない。そういうときがきたら、この日記を見て「こんなこと言ってるわ」と恥ずかしくなるんだろう。何年先にそういう日が来るかなあ。

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