・昨日はずっと頭と体に白いもやがかかったようで体が動かなかった。熱などもないし、痛いところが特別あるわけでもないけれどとにかくだるい。蜘蛛に攻撃されたようだ・・・と思いながらゴロゴロしていた。
・プリンタニアニッポンの3巻を読んだ。以下ネタバレしまくるので嫌な人は戻ってください!
・もともとちょっと不思議な世界で、前提条件が語られずにすすんでいく話だったけれど3巻はそれがとくに強かった。
・もし現代の話だとしたら「ここはこういう世界です」なんてわざわざ説明しないし、読み手の「当たり前」を信頼して話を進めるのは当然だ。でも、プリンタニアニッポンの世界は「あれっ」というひっかかりがざらりと、決して優しいひっかかりではない棘となって刺してくる。すあまとさとうのやり取りなどは『動物のお医者さん』のチョビとハムテルを彷彿とさせるほっこりぶりなのに、世界の前提はかなり暗そうな印象を受ける。
・旅行するシーンでは、旅行先が「限りある作られた場所」であることが明言されているし、その外出先に他の人間が見当たらない。個人的に作られた場所であるように感じられる。他で見られる部分の技術力だするとゲームなどもこのクオリティで体感できそうだが、これは「旅行」なのだ。
旅行の一部始終もコマ送りで描かれているけれど、遊んでばかりで「みんなで寝る」「一緒にごちそうを囲む」ような描写はない。以前の巻で佐藤が食事に無頓着であることは触れられているからそのせいかもしれないが、「土地柄」という感覚がなく、多様な食事は望めば日常的に得られるために「旅行先の特別な体験」として描かれないのかな、と感じた。
・此岸と彼岸という概念についても説明が少しある。肉体が停止しても記憶や意識が残ると分かっているとき、人の生き方はどう変わるのだろう。宗教の入る余地が少なくなってしまう気がする。
・以前までの巻では「猫」とは絶対権力者のようなもので、管理者のようなものに感じていたけれど思ったよりも立場に差があるものでもないのかもしれない。管理者であることは変わりなさそうだが、その存在を思っていたより俯瞰して冷静に受け止めている。
・「旧人類」とされるものが私たちのような人間だとして、滅んでゆく世界を止めようとして「猫」を作り、猫はその方法を得るためにどこかへ赴き、戻ってきたときには人類は滅びていた。けれど猫は自身のプログラム上人類を復興させるためになんとか残滓から人間を作り出そうとした。そんな気はするけれど、かといってこれが佐藤たちに直接つながっているかというとよく分からない。
・プリンタニア・ニッポンには女性らしい人物も現れない。佐藤たちが通し番号で呼ばれているのをみると、コピーやクローンのようなものとして人類が存在しているように思える。すると、コピーする時点で女性は存在しなかった可能性もあるのではないだろうか?
・少しずつ語られる部分はあるものの、謎は多く残されたままだ。4巻が待ち遠しい!
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